プロフィール

ひろゑ

Author:ひろゑ
都内在住。
2011年9月より龍笛の稽古に
通いはじめました。

社寺を訪れたり、
草木などの自然を眺めることを
好みます。

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国立散歩とご先祖のこと

今日は実家に帰る途中、国立に寄りました。県外の方のために念のため、ここで言う国立は「こくりつ」でなく「くにたち」と読み、一橋大学がある街として知られています。駅前は大きな並木道になっており、春は桜、秋はイチョウ、冬は巨大なクリスマスツリーが街を彩ります。実家から比較的近く、子供の頃おこづかいを持って遊びに行くのも、初めてのアルバイトも国立でした。駅前にあった行きつけのCDショップ・ディスクユニオンを久しぶりにのぞこうと思ったら、随分前に立川に移動していたことがわかり残念。国立のシンボルだった南口木造三角屋根の駅舎はJRの高架化により解体、背の高い建物がほとんどなかった北口駅前には巨大なマンションが軒を連ね、景観はまるで変わりました。

CIMG8825_small.jpg
大学通りの桜並木。

CIMG8824_small.jpg
ブランコ通り。

CIMG8827_small.jpg
小洒落た店が点在。

北海道にいる祖母が足を痛めてしまったため、母は1ヶ月ほど故郷に帰っていました。
(幸いだいぶ回復しました。^^)私は母が出掛ける前にある頼みごとをしていました。
それは「ご先祖の話を沢山聞いてきて欲しい」ということです。鴨媛さんのルーツを聞いてその話が大変面白かったので、自分のご先祖はどこで何をしていたのか興味を持ったのです。父方の平家落人うんぬんの話はその後親戚に会っていないため続きが不明な状態。ここ数年、親戚が一人、また一人と亡くなっています。庶民の家なので立派な家宝や家計図は残っておらず、ご先祖のことはほとんど口伝え。親族が元気なときに話を聞いておかないと、ご先祖のことは忘れ去られてしまいます。

いくつか話を聞かせてもらいましたが、母方は亡くなった私の祖父の家に残っている情報が一番古いようでした。幕末・長岡藩士のご先祖です。弓の名手で名は与一。(那須与一からとったそうな)歴史に名前は残っていないですが、当時の長岡藩主・牧野 忠訓(まきのただくに)の警護に付いていた人だそうです。戊辰戦争で長岡城が落城すると藩主と共に会津藩に逃れ、さらに五稜郭を目標に仙台藩に逃れようとする所、新政府軍に拘束されました。処刑は免れるも、屯田兵として北海道根室の開拓地に送られます。当時の根室はロシアが目を光らせており道内で最も危険な地域だったとか。過酷な労働を乗り越え、その後酒・薬・衣料品・米を扱う大きな商店を立ち上げたそうです。その商店は後に3つに分けられ・・・私の祖母が一人で切り盛りしている小さな薬店が、そのひとつだと知るのでした。そしてその薬店も郊外の巨大マーケットに客足を奪われ、閉店しようとしています。

国立駅の懐かしい景色が失われたこと、祖母のお店が無くなること、今日はちょっと感傷的な気分になりました。こう考えてみると私のこれまでの人生三十数年でも身の回りが目まぐるしく変化しているのに、千年単位で殆ど変わることなく継承されている雅楽は凄い。
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